第45話   釣り人のマナー     平成15年10月09日  

趣味には色々ある。自然に触れて楽しむ趣味には、代表的なものとして登山、ハイキング、野外バーベキューなどがある。釣なども其のひとつである。登山家が最終目標にしているヒマラヤがゴミで汚れているので、わざわざヒマラヤに出かけ掃除をしている日本人登山家が居る。各国からえり抜きの登山家達でさえゴミを捨てているのである。

自然を壊すのも人間ならば、自然をきれいに保全するのも人間である。我々人間が生活していく為に、又生きていく為にあらゆる場合にマナーがある。皆が最小限のマナーを守り、皆がマナーを心得て行動すれば何も問題は起こらない。処が何処の社会にも「マナーを守らない」一部の人間が存在するので始末が悪い。

最小限のマナーとは他人に迷惑を掛けない、他人を不愉快にさせないという極々簡単な事である。釣は趣味として楽しむために在るので難しい理屈など入らない。楽しく釣る事により、心身のリフレッシュが出来、明日への活力が生まれるのである。楽しく釣る事は自分だけが楽しく釣る訳ではない。他の人も楽しさを求めて釣に来ているのである。がしかし、実際には釣に行くと自分勝手な行動をする者が少なくない。ちょっとの隙間に平気で割り込んで来たり、また逆に他人が割り込まないように余分な竿、道具などを置いて見たり、マナーの悪循環が起きていることもしばしば見受けられる。また、釣のゴミを平気で捨てていく者も多数見受けられる。

釣り場は一人の物ではない。社会全体の財産であり、公共のものである。魚だって然り。釣が盛んになればなるほど、釣り場は荒れて、魚は少なくなってきている。常識に従って節度ある釣を楽しんでもらいたいと思う。西洋の遊魚としての釣はジェントルマンと呼ばれる特定階級(貴族)の釣であった。だから釣り場は管理され何時も綺麗であったのに対し、日本の釣はどちらかというと庶民の釣で手軽なレクレーションとしての釣である。其の差がマナーの差となって現れて来たのだと考えられる。昔外国人には「日本人は礼節を重んじ、清潔な人種」として知られていたが、そんな日本人は何処かへ行ってしまった。

小さい魚、余分な魚はリリースする(魚の保護)とか空き缶、空き瓶、ビニール、紙くず等は家に持ち帰るなど・・・(清掃)。やれば簡単に出来ることが沢山ある。いつかマナーの欠如で魚釣りも困難になる時代がきっとやって来るに違いない。